太秦歴史探訪舎

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こんにちは、管理者の米澤です。ー2

2014.3.1

平安以前の山城の国葛野=京都市右京区太秦は秦氏一族の拠点の一つです。秦氏の中でも有名な秦河勝の本拠地です。今私はそこに住んでおります。河勝といえば―広隆寺―聖徳太子。もし聖徳太子がいなかったとした日本の歴史はどうなってしまうのだろう。さらに河勝の存在はどうなる。太秦はどうなる。しかし、私も含めて秦氏、河勝を知っている日本人はどれだけいるだろうか。おそらく誠に少ないであろうと思われる。いやあ、なぜ知らないのだろうか。当然ながら、教科書に出てこないからである。

もしも聖徳太子がいなかったとしたらどんなことが起こるであろうか。太子ゆかりの施設、土地、伝承が否定されます。四天王寺、法隆寺、橘寺、広隆寺、六角堂など日本全国にある伝承の地、伝承の寺院や史跡の根拠が消滅してしまい唯の古い社寺、史跡になってしまう。また、仏教の祖、猿楽の祖、大工の祖などの説がすべて覆ってしまう。聖徳太子伝暦などは小説になってしまいます。物部討伐の折、四天王の像をつくり戦勝祈願をした白い矢を舎人に与え守屋を弓で射落としたという伝説も消え、側近中の側近と言われている秦河勝の存在も疑わしくなってしまう。大変なことです、古代史のみならず日本史が大きく変わります。いや、変わるだけではすまない、とんでもないことが起こると思います。

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